公開:2022年11月2日

前回の記事のおさらい

前回は日本企業が抱える「社員の読解力不足」問題について、新井紀子先生にお伺いしました。コロナウイルス感染拡大の中でのDX導入での事例などから、「読解力不足」は全世代で見られることが判明。第2回では、AIに仕事を奪われないための「ビジネス読解力」について掘り下げます。

▼前回の記事はこちら
若者はみんな読解力不足? 日本企業が抱える「社員の読解力不足」問題とは

目次
  • 新井紀子先生

    新井紀子先生(以下、新井)

  • LA

    ALL DIFFERENT株式会社
    (以下、LA)

*新型コロナウイルス感染防止のため、十分に距離を取りインタビューを実施しました

*記載されている内容はすべて取材当時のものです

10年前「コンピュータに仕事を奪われる」はSFだった

【 LA 】

2010年に執筆されたご著書『コンピュータが仕事を奪う』は、発売当時、一部の書店でビジネス書ではなくSFコーナーに陳列されていた、というエピソードがありました。当時、コンピュータやAIに仕事を奪われる、という提言は空想の話として捉えられていたのでしょうか。


▲「コンピュータが仕事を奪う」 (2010/日本経済新聞出版社)  発売当初はSFコーナーに陳列されていたこともあったという。

【新井】


▲「コンピュータが仕事を奪う」 (2010/日本経済新聞出版社)  発売当初はSFコーナーに陳列されていたこともあったという。
そうですね。2011年にAIプロジェクト「ロボットは東大に入れるか」*を始めたときも、日本中から荒唐無稽と言われました。当時も学会ではAIによるシンギュラリティ(技術的特異点)が来るという予想に8割くらいの方が賛成していたのに、「ロボットは東大に入れるか」というプロジェクトに対しては「研究者として間違っている」と言われ、賛成してくださる方がすごく少なかったんですよね。 けれども、2013年くらいからAI技術が発展して、ワトソンがコールセンターなどに導入され、成功事例が増えてきます。そこから「AIはどこまでできるんだろう」という話も出て、「シンギュラリティは来る」という信念を持つ日本企業の経営者の方が、ものすごく増えましたよね。私は、その日本中のAIによるシンギュラリティへの過熱状態をクールダウンさせる必要を感じていたんです。「いや、シンギュラリティまではいかないのでは...」と。

それが2016年の「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトの凍結にもつながっています。「東ロボくんはMARCHや関関同立クラスの私立大学は得意を活かせば充分合格レベルに到達することがわかったこと。一方で難関国立大学は5教科7科目をおしなべてできないといけないため、東ロボくんは東大に入れないだろう」という、いったんの結論がでたことも区切りとなりました。

(*ロボットは東大に入れるか...国立情報学研究所が中心となって2011年にスタートした人工知能プロジェクト。東京大学入試突破を目標とし、実際に全国の有名私立大学の入試合格レベルに到達したことで話題となった。)

【新井】

そして、ちょうど同じようなタイミングで、日本企業のシンギュラリティへの過熱状態も徐々に解消されていきました。既にPOC(Proof of Concept:アイデアの実現化が可能か検証する工程のこと、概念実証とも)で億単位の投資をされていた一部の企業でその結果が見え、検証が進んだんだと思います。私はこの時、日本企業は「AIのシンギュラリティ」の神話を脱したんだと思いました。「ああ、まさにこれは統計だったんだ」「データサイエンスだったんだな」と思いましたね。これは笑い話ですが「シンギュラリティを信じて5千円の羽布団でしかないものを500万で買った企業がいっぱいあったと思います」と話したことがあったんですが、経団連のお歴々からすごい苦笑されましたね。
そして、シンギュラリティ神話を脱出したあとに、「DX」が出てきました。

10年後、「AIに仕事を奪われる」は現実になった

【 LA 】

10年前、SFだと思われた「AIと労働」の関係性は、シンギュラリティという神話の過熱状態を経て、「DX」という形で現在社会につながっているんですね。
ところで、「DX」の話題に入る前に、今一度「AI」の定義について立ち返りたいと思います。 先生はいつも「AIとAI技術は違うもの」であるとおっしゃっていますね。

【新井】

AI(人工知能)というと「私たち人間の頭脳と同じか、それ以上に優秀な『人工的な知能』がもう既にあり、その精度がだんだん上がってきている」と思われるかもしれません。しかし、真に「人工知能」と呼べるものは、実はまだ世の中にはないんです。人工的な知能を目指す過程で、いろいろな技術が出てきました。そうした「AI技術」と呼ぶべきものを皆さんは「AI」と呼んでいます。
そのため、AIは人の頭脳では滅多にしないような間違った判断をしてしまうことがよくあります。たとえば、機械翻訳ですが、「ボタンを上下左右の順に押してください」という文はちゃんと翻訳できても、「ボタンを上下下下左右右右上下上下の順で押してください」という文はうまく訳せません。これは、上下下下左右右...なんて言葉を訳すことが統計的に滅多にないパターンだからです。滅多にないパターンに対してAIがどんな反応をするかは私たち研究者でも予想がつきません。それこそ、人の頭脳では滅多にしないような間違った答えを出すこともあるのです。 ただ、使いどころが分かれば、AIは人の仕事の一部を担えるようになります。AIは「過去のデータがあるもの」や「同じような処理を正確かつ高速で行うこと」が得意です。逆に、「お客様の意図を読み取り、目的地へ誘導する」といった柔軟対応にあたる仕事は苦手です。前者のようなAIが得意とする部類の仕事は、いわゆる「AIに奪われる仕事」と言えるのではないでしょうか。

【 LA 】

「AIに奪われる仕事」には、どのようなものがありますか?

【新井】

一概に、単純作業に見える仕事が全てAIに奪われる仕事だと思われがちですが、実はそうではありません。たとえばニチレイさんでは画像認識で冷凍食品に使う鶏胸肉の血合いと小骨を取っています。人間がやる場合は寒い部屋で立ったままやる過酷な仕事です。これを画像認識によってロボットがピンポイントでスポッと取るようにした。その仕事はもう人間がやる必要はなくなり、作業時の鶏肉の廃棄率は3分の1に改善されたそうです。

しかし、同じ「不適当なものを取り除く」仕事でも、「部品工場から不良品を全て取り除く」といった仕事は実はAIには不向きです。なぜなら、先程の「上下下...」という滅多にない言葉の翻訳が不安定なのと同じで、発生頻度が非常に少なく、しかも曖昧な「不良品」という定義ではAIは対応できないのです。 先程のニチレイさんの事例は、鶏胸肉に発生する血合いと小骨の大きさや形状、位置が大体どれも同様だったからできることなんですね。これはニチレイさんがAI技術の特性をよく理解しているからこその活用法で、まさにDXの成功例といえます。

【新井】

ちなみに、よく誤解されるのですが、銀行の業務でいえば、実は窓口業務より融資のほうが置き換わりやすいと私は考えています。もちろん、それぞれの銀行や支店によって程度はありますが、「一般家庭向けの住宅ローン」は過去のデータが判断材料の多くを占める場合が多いですよね。データ分析から最適な融資プランを導き出す業務はAIに十分置き換えがきくと考えることもできるでしょう。

【 LA 】

銀行の窓口業務が削減されている、という報道もよく耳にしますが...

【新井】

それも否定はしませんが、オンライン窓口の利用者が増えているためだと考えています。なので、リアル店舗の窓口担当が減っているのは確かですが、AIに奪われているというよりは、単純にリアル窓口とオンライン窓口と選択肢が増えた結果だと思います。 オンライン窓口で完了する案件は「お客様が、自分がやりたいことを明確に理解している」案件がほとんどです。それなら、リアル窓口に相談に行く必要がありません。しかし、リアル窓口に来るお客様はそれで解決しない問題を抱えていることも多いですね。そうすると、お客様のお話を聞いて、最適な解決策へ導くリアル窓口業務は、まさにAIに奪われにくい仕事だと思います。

【 LA 】

なるほど、そのお客様の話を聞く、というところにも「読解力」が関わっていますね。

▼ 10〜20年後になくなる職業トップ10(Erik Brynjolfsson, Andrew McAfee.『Race Against The Machine』.2011より参照)

リスキリングの基本は「読み書き」である

【 LA 】

これまで人が行っていた仕事の一部がAIに置き換わる時代はすでに始まっていることがよくわかりました。今は人が行っている仕事でも、これからAIに代替されるようになるのであれば、その仕事に従事していた人は新たな業務に就く必要がありますね。

【新井】

そうですね。今後もDXは着実に進んでいきます。自分たちのすぐそばまで来ている。そのときに、「あ、これはチャンスだな」と思える企業と、「え、そんなのいやだな」と思う企業があったとき、「いやだな」と思う企業は、どんどん利益率が奪われてしまうと思います。
(詳細は第1回記事を参照) そこで重要なのが、今いる社員が「リスキリングができる柔軟な人材なのかどうか」ということ。そして、これは特に皆さんにお伝えしたいのですが、リスキリングの基本は「読み書き」です。

【 LA 】

「読み書き」ですか。AIやDX、リスキリングといったワードと一緒に耳にすることは少ないスキルですね。

【新井】

「読み書きくらい誰でもできるでしょ」と言われることは多いですね。ただ、多くの方が考える「読み書き」は「識字」のことなんですよね。文字や漢字が読めるということ。私が言っているのは「好きなだけカンニングをしていい状態で試験をしたときに100点をとれる能力」のこと。つまり、自分で課題解決をするヒントを探して、そのヒントを活かして業務に対応する、そして結果をだす。「自力で理解して、解決できるよう言語化する」ことを「読み書き」と表しています。 この「読み書き」が多くの企業、社員に強烈に求められたのがコロナ禍でした。多くの企業がコロナ禍でそれまでの業務やサービスを新しい環境に合わせる必要に追われました。そこで対応できたかどうかの分岐点は、実は「読み書き」ができるかどうかだったと考えているんですよ。

【 LA 】

急速に日本社会に感染が拡大した2020年春、当社の研修事業も、急ピッチでオンライン研修の体制を整えました。幸い、多くのお客様のご理解いただくことができ、コロナ禍でも事業を継続し、お客様の人材育成施策を支援することができました。先生は、企業のコロナ対応がある程度進んだ今後も、こうしたスピード感ある変化対応がさらに求められるとお考えですか?

【新井】

そうですね。たしかにコロナ対応の必要性だけをみれば2020年のようなショックは収まっていると言えます。しかし、考えてみてください。近年、それまでやっていたことが「今日は違う」「ベストじゃない」ということってよくありませんか?
「1年前、1か月前、昨日までと同じやり方ではダメ」ということが増えていくのが今後の社会です。コロナ以外にも変化を求められる事例はいくらでもあります。それこそ、DXがそうですよね、対応しないと利益率がどんどん悪くなるし、対応している競合企業にどんどん差をつけられてしまう。

【新井】

そんな時、上司には「決断力」と「早い決済」が求められるのはもちろんですが、部下には「早い決済」についてこられるだけの力が必要になります。

例えば、ALL DIFFERENT株式会社さんのコロナ対応を例にさせていただくと、「オンラインのスタジオで研修を配信しよう」と決まったとき、それを顧客に説明するのは部下ですよね?感染拡大の影響を理解しているのはもちろんとして、上司や企業が感染拡大対策の方針として何をしようとしているのかを理解して、いろんな状況で、いろんなお悩みをおもちのお客様に対して、「今まで対面でしていたものは、このように対応できます。なぜなら...」と、担当者レベルでも提案ができなければ、顧客を全て失う可能性さえあります。

そんな中で新環境に対応できた企業は、「早い決済」ができる上司と、それについてこられる「読み書き」ができる部下の両方がそろっている、のだと思います。

【 LA 】

ありがとうございます。

【新井】

ちょっと厳しい言い方になりますが、こうした状況下でお客様への新提案どころか、普段の会議ですら「Zoom?なんてやり方わからないよ」と言っている社員のサポートに、上司や優秀な社員の時間が割かれてしまう企業にはつらい時代がきている。新しいことをはじめるときは、これまでのやり方とは異なる新しい知見が必要です。そしてその新しい知見を入れるには新しい人を入れるか、今の社員をリスキリングさせるかしかないんです。そのリスキリングの最たるものが「読み書き」なんですね。

企業にとって「基礎的読解力」はリスクヘッジになる

【 LA 】

こういったお話をお伺いすると、社員の基礎的読解力を伸ばす取り組みをしておくことは、企業にとって大きなリスクヘッジになるというところがありますね。

【新井】

はい。私は常々、「基礎的読解力のある社員を雇用することは企業にとって最大のリスクヘッジ」だと発信しています。いまの社会はテクノロジーが大きく動いているので、DXを強く押し進めた場合、人を使わなくても生産性を上げられることになります。人件費分が大きく浮いて、かつ生産効率も上がるわけですよね。
一方、自社でDXを進めたくても社内の人材がDXについてこられない、DXの結果、余剰になった人員を他の仕事に転用できないとなれば、社内で人材がだぶついてしまいます。でも、リスキリングによって社員がAIと連携して生産効率を高められる人材になればそんなことは起こりません。だから、リスキリングは企業にとって重要です。そしてリスキリングの最優先項目が「読み書き」、読解力なんです。

ミスや手戻りを防ぐ「基礎的読解力」は社会人でも鍛えられる!

【 LA 】

読解力のリスキリングに社会人が取り組むことの重要性がよくわかりました。ちなみに、先生は高校生以上とそれ以下の方とでは読解力の伸びやすさが異なるとおっしゃられていますが、やはり社会人のほうが伸びにくいのでしょうか?

【新井】

あ、実はですね、高校生より社会人のほうが読解力は伸びやすいんですよ。というのも、社会人は社会生活で「読み書きができないと困る」と認識している方が多いからです。多少、読解力が低くてもお友達との会話はできるし、日々のお勉強でついていけないことはあっても、強く「困った」と感じる方は残念ながらあまりいません。

【新井】

だけど、社会人は普段の仕事で「読み書き」が必要だし、できないと「困る」じゃないですか。「仕事ができない」と毎日職場に行くのもネガティブになってしまうし、昇進したり、今後のキャリアを考えたりすることも難しくなる。社会人は「読み書き」ができないと「困る」事態になってしまうんですよ。
だから、社会人に読解力を強化させたいと思ったときに大切なのは「読解力がないと困る」と理解してもらうこと、そして「自分は読解力が不足している」と自覚してもらうことなんです。 RSTはそのためのツールなんです。

【新井】

RSTは明確に診断結果がでますので、上司も社員本人も現実を認識せざるを得ないと思います。「自分は読解力のこの部分が低い」という結果に直面したときに自覚ができる。企業も診断結果に応じた支援ができる。本人にとっても「この不足を対策すれば仕事ができるようになる、昇進が見えてくる」など、取り組むインセンティブになる。 そうした教育方法、教育を受ける機会があれば、社会人の読解力は、少なくとも人並みレベルまでは伸ばせます。

▼ 人手不足やAI技術が発達する社会の中で、読解力の有無は人生を左右する

(「リーディングスキルテスト(RST)のご案内」:一般社団法人 教育のための科学研究所 https://www.s4e.jp/より)