公開:2022年10月20日
はじめに
ALL DIFFERENT株式会社では2022年10月から12月にかけて、新井紀子先生のスペシャルインタビューを全5回記事として特別無料公開いたします。19年にビジネス書大賞に選ばれた『AIvs教科書が読めない子どもたち』の著者であり、年間10万人以上の受検者数を誇る読解力測定テスト「リーディングスキルテスト」の運営代表でもある新井紀子先生が語る、日本企業が抱える様々な課題、悩みとの向き合い方とは?
経営・人事・教育ご担当の皆様、ぜひご覧ください。
新井紀子先生のご経歴とリーディングスキルテスト(以下、RST)ALL DIFFERENT株式会社との共同の取り組みについてはこちら
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新井紀子先生(以下、新井)
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ALL DIFFERENT株式会社
(以下、LA)
*新型コロナウイルス感染防止のため、十分に距離を取りインタビューを実施しました
*記載されている内容はすべて取材当時のものです
はじめに ~「読解力」向上の研究、7年目を迎えて~
2016年7月に国立情報学研究所から読解力に関する研究を始めるという発表をされてから今年で7年目を迎えました。当時義務教育の最終学年だった方々が、いよいよ就職活動を始める大学3年生になりますね。
そうですね。実は、2016年に私たちが「実は多くの中学・高校生が教科書を読めないまま卒業している」と申し上げたときは「教科書くらいはさすがに読めるだろう」と誰も疑っていなかったんですよね。教育現場では「教科書が読めない学生がいる」ことを薄々感じていたとしても「ちゃんと読んでいないだけ」「うっかりした性格だから」など、性格あるいは学習障害の問題とされていました。だから、こうした指摘自体が教育に対する挑戦のように思われて、学校や教育学者から大きな反発を受けたことを覚えています。
私たちは科学的なデータに基づいて、多くの学生が「教科書を読めないまま卒業している」と申し上げてきました。
しかも、高校生になると学校教育だけでは読解力は向上しにくくなるので、大体、多くの方が中学3年生の読解力のまま大人になっていると思われます。このような事実が、日本でも海外でも最初は全く受け入れられませんでしたね。
その後、いくつかの進学校や県立高校でRSTを受けるという取り組みが進みました。ある県では、高校の入学偏差値とRSTの能力値の相関係数が0.95もあったんですよ。中3以上になると読解力は自然には上がらないので、RSTの能力値が学力をほぼ決定していると言えます。
*RST(リーディングスキルテスト)... 一般社団法人
教育のための科学研究所が開発・運営する「読解力」の科学的測定・診断ツール。新井紀子先生は同研究所の代表理事 所長を務める。
RSTの詳細とALL DIFFERENT株式会社との共同の取り組みについてはこちら
▼ 人手不足やAI技術が発達する社会の中で、読解力の有無は人生を左右する
読解力が低い学生は教科書が読めませんから、自学自習ということができません。しかも、今の大学入試は5割以上が推薦やAOですから、そのままの読解力で大学へ入学することになります。大学で数百人規模の授業を受けたところで、教科書の内容も先生が何を言っているのかも分からない。こうした状態で4年間を過ごして新入社員になっている方が、圧倒的に多いと感じますね。
その傾向は、2016年から2022年の間で変化はあるのでしょうか。
今では、年間で10万人くらいの方がRSTを受けています。一番取り組みがしっかりしているのは小中学校ですね。各自治体が小中学校で読解力向上の取り組みを始めていて、実際にRSTの能力値が上がり、全国学力テストも上がったという学校が次々出ています。
その結果、皆さんの認識が「読解力は人の個性みたいなものなので向上しにくい」という認識から、「読解力はスキルであり、社会に出て困らない程度には向上することができる」という認識に変わってきました。もちろん、学習障害などがおありになる方の場合は、どうしても読解力の向上が難しいケースがあることは否定しません。しかし、多くの方にとっては、努力すれば改善できるものです。ただ、高校生以上になると普通の学校教育だけでは伸ばせないスキルでもあります。
日本の若者はみんな「読解力」不足なのか?
近年の日本の若者の読解力について、先生はどういった傾向があるとお考えですか?
日本では多くの方が漠然と「若い人ほど読解力が低いのではないか」と思っていますよね。しかし、世の中の社会人全員を対象にした読解力調査はやりようがありませんし、そのような調査結果は見たことがありません。では、なぜ多くの方が何となく「若い人ほど...」と思われるのか。実際のところ、皆さんが感じていらっしゃる傾向というのは、「我が社では若い人ほど読解力が低いのではないか」ということだと思うんですよね。
RSTを受検されている一部上場企業はいくつもありますが、それで分かったのは「その企業の業績がよく、リクルーティングがうまくいっているときは、読解力の高い人がとれている」といえそうだ、ということです。
なので、自社の社員の読解力レベルにご関心がある場合は、大体、自社の業績や知名度、リクルーティングの状況などと連動していると考えていただくと分かりやすいかなと思います。
それは採用基準が厳しい年に入社された方ほど読解力が高いということでしょうか。
どちらかというと、企業の知名度が高い年ですかね。たとえば、有名企業と合併した会社では、合併前後でRSTの結果に違いが見られます。
また、企業だけでなく業種全体にも同様の現象が見えるんです。たとえば、近年はIT業界が人気なため、最近入社されたIT業界の新入社員のRSTの結果は高めの平均となっています。一方で、金融機関や新聞社、大手メディアでは、もともと一流大学の優秀な学生が目指す業界という印象がありましたが、最近は紙媒体が売れないとかDXで文系の人材が不要になるのではといった印象から、文系のトップクラスがこうした業界の採用試験を受けなくなっています。その結果、10年前に比べて今のRSTの結果が下がっているところは多いですね。 なので、その企業が選ばれるかという点と、その業種が選ばれるかという点がRSTの結果を左右するんです。RSTの能力値の変化はその企業の歴史を表すようなところがあって、ある意味で、その企業全体の健康診断と言えますね。
「読解力」不足は全世代で見受けられる
読解力不足は若手社員だけでなく全世代の社員に起こりうる現象ということですね。読解力が不足していると考えられる具体例などはありますか。
近年のわかりやすい例を一つ挙げましょう。2020年に日本で急激に新型コロナウイルスの感染が拡大し、多くの企業でオンライン会議や在宅勤務の環境を整える必要が生じましたね。その時に、「Zoomで会議をする」と言っても、それに対応できない社員がたくさんいたのではないでしょうか?SlackやMicrosoftTeamsなどのチャットツールで情報共有をしようとしたら誰も書いてくれなかったとか、VPN回線設備に問題が生じた際に「全然うまくいかないんです!」と言い続けるだけで自己解決ができない社員はいませんでしたか? 企業やバックオフィスの方が丁寧なマニュアルを用意しているのに、それでは問題解決ができない。結果的に新しい働き方に馴染めず、効率を落とす社員がいたり、そうした社員の方のサポートに他の社員のリソースが割かれたり、という企業もいらっしゃいましたよね。
一方で、同じ状況でも自分でマニュアル等を読んで環境に適応し、誰かに質問するときでも画面キャプチャなどを送りながら「この設定でおかしいところはありますか」と質問し、「ここの設定をこうするといいんですね、わかりました」と理解する、という軽快なコミュニケーションができる社員もいませんでしたか? 前者は、困っているという心情吐露はできるけど、起こっていることを言語化できていません。それに対して、後者は自分が困った場面を具体的に説明できていますし、非言語と言語の両方を用いてわかりやすく伝える工夫をしています。読解力が高い社員ほど自己解決能力が高く、その分、情報を伝達する能力も高いのです。
「読解力」不足の社員が多い企業の「重大リスク」とは
社員の読解力不足が引き起こす企業のリスクについて、特にこのリスクは大きいというものは何でしょうか。
一言でいえば、何かあったときに「自己解決できない」とか、変化に「柔軟に対応できない」ということです。
極端な例えですけど、読解力が低いということはすなわち、「カンニングしていいですよ」と言ってもできないということになります。仕事ってカンニングしてもいいじゃないですか。マニュアルを見てもいいし、困ったら他の人に聞いてもいいし、画面キャプチャも撮っていい。
マニュアルを見ながら仕事をして怒られることってないでしょう?でも、読解力がない人はそれでも自己解決ができない。そういう方にとって、これからの時代はますますつらくなってくると思います。
例えば、社員がZoomを使えないから、その社員にZoomの設定を教える仕事が発生してしまう職場ではその分リソースが割かれますよね。このような企業はDXでAIを活用して業務効率化を図ることが広がっていくこれからの時代に対応できるでしょうか?なかなか難しいと思います。AIという新しい仕事に馴染めない社員が多いため導入に時間と予算がかかったり、導入自体ができなかったりするかもしれません。そんなとき、AI活用が進んだ競合他社が、同じ業務を少ないリソースと早いスピードでできます!と打ち出して来たらどうでしょう?AI活用ができない企業は競合他社に負けないよう、労働集約的に頑張らなくてはならなくなります。結果的に、今までと同じ業務を今までと同じやり方で遂行しているのに、今までより利益率はどんどん下がってしまうことになります。最終的にはAI活用が進んだ企業のスピード感とコスト感にかなわず、市場競争に負けてしまう、という重大リスクも考えないといけませんね。
また、企業にとってのリスクは雇用・採用の面でも重大です。とても熱意があって、すばらしい個性と能力をもっている新入社員がいたとします。しかし、その方には読解力が不足していた。そのため、上司やお客様の気持ちや要望が読み取れなかったり、業務上必要な知識が学習できにくかったり、という事態が起こります。せっかく高い熱意があるのに空回りしてしまうわけです。当然、上司は注意したり、叱責したりします。でも、ここでも読解力が不足されているので「何を叱られているのかがわからない」「しっかり読んでいるつもりなのに、しっかり読めと叱責される」ということが起こってしまいます。これはとてもつらいですよね。熱意が高い方ほどつらいかもしれません。メンタルヘルスに支障をきたすこともあります。そして、会社を去ってしまう。本当は戦力になるいい人材であっても、読解力を上げる機会がなければ、「早期離職」というリスクが発生してくるのです。
金融機関では「約款」を用いた業務が発生しますが、若手社員が「約款」の中身を理解できず、仕事を任せることができない、というお悩みを伺うこともあります。企業にとって、その若手社員に割くリソースが増えてしまうことももちろんですが、その環境に若手社員が悩んでしまい、離職してしまうことも重大なリスクですよね。 こうした例を考えると、新人の読解力が低いと分かったときは教育とセットにしてソリューションを提供することの重要性を改めて感じます。
▼ 読解力が不足することで起こるリスクの例。企業にも社員本人にも大きな負担になる