清水電設工業様「女性管理職登用のポイントは“意思尊重”と“変化サポート”にあり」|事例
清水電設工業 株式会社 様
- 従業員数
- :107人(2018年7月時点)
- 主要業務
- :工業製品のコーティング処理の受託加工、コーティング処理装置の製造・販売、技術開発
- キーワード
- :初の女性管理職登用
工業製品のコーティング処理など、技術力を活かして国内外の企業にサービスを提供する清水電設工業。同社の長い歴史の中で、女性管理職が誕生したのは2013年とごく最近ですが、以来、女性の活躍の場を着実に広げています。清水博之社長と、女性管理職第1号の立田愛総務部長に話を伺ったところ、女性を管理職に登用し、育成していく上で押さえるべきポイントが見えてきました。(以下、敬称略)
創業家以外で初の女性管理職誕生
- Q. 1949年創業と歴史のある御社ですが、女性の管理職が誕生したのはつい最近だそうですね。女性社員を管理職に登用した経緯を教えてください。
- A. 清水:製造業という職業柄、当社の男性比率は約8割と高く、まだまだ女性社員が少ないのが実情です。昔から男性中心の傾向があったためか、創業以来、管理職以上の役職に就いた女性は、私の母のみ。創業家以外の女性管理職は1人もいませんでした。
- 女性の管理職登用の実績がない中で、なぜ立田に昇進をお願いしたかというと、当時の当社には総務部長も総務課長も不在で、その状況に危機感を抱いたからなんです。隠さずに申し上げると、社員の不幸が重なったことや、リーマンショックの影響で離職する社員がいたことが原因でした。リーマンショックの翌年の2010年に社長に就任し、これからの組織づくりを考えた結果、これからの総務部を引っ張っていくのは主任の立田だと感じ、彼女に昇進を打診することにしました。
- 男性だから女性だから、ということはまったく意識していませんでしたね。立田は当時主任として総務部を回していました。ですから、そのポストにふさわしいのが立田だった。それがたまたま女性だったということです。ただ、彼女が適任と言っても、主任からひとっとびに部長に昇進させるわけにはいきませんから、まずは課長のポジションを打診しました。
- Q. 昇進の話を聞き、立田さんはどんなお気持ちだったのですか?
- A. 立田:実は、私にはできないと当初は断り続けたんですよ。自分が総務部を切り盛りしているんだろうなという自覚はありましたし、やっていること自体は大きく変わらないとわかってはいました。ただ、当時は日々の仕事をこなすだけで精いっぱいでしたし、管理職になれば計画立ててやっていく必要もありますよね。それは自分には難しいと感じていました。とにかく管理職として責任を負う自信がありませんでした。
- Q. そこから昇進を受け入れるまでに、どのような心境の変化があったのですか?
- A. 立田:プライベートを含めて、改めて将来のことを考える機会があり、「もう少し経済的余裕がほしいな」「もう少しキャリアを作っていかないとな」と思うようになっていったんです。「課長になってみようかな」と思っていたところに、同僚たちが「課長になったらサポートするよ」と言ってくれて、背中を押してもらいました。
- Q. 立田さんが昇進をためらう中、清水社長はどのような説得を試みたのでしょうか?
- A. 清水:説得ということはしませんでした。基本的に、周りが“やれ”と言っても、本人にやる気がなければその役職は全うできません。また、プレッシャーによって会社を辞めてしまうのでは、という怖さもあり、彼女自身が昇進を決断するまで待つことにしました。急かしてマイナスになるくらいなら待った方がいいんです。結果、立田が課長に昇進したのは2013年。打診から3年後のことでした。
管理職への変化サポート
- Q. それほど昇進を躊躇した立田さんが、今では総務部長そして執行役員として会社の経営に携わっています。どのような変化があったのでしょうか?
- A. 立田:課長になった後にMBAを取得したことが大きく影響していると思います。課長への昇進を決めたとき、会社から「課長になるんだったら」とMBAの取得を勧められました。しかし、2年間も仕事をしながら続けられるかという不安もありましたし、そもそも私は大の「勉強嫌い」です。正直言って学校に通うお金もありませんでした。積極的になれずにやり過ごしていたのですが、そんな私に業を煮やしたのか、ある時、会長が学校を調べて教えてくださったんです。会社からそこまでしてもらって、やらないわけにはいきません。「これは頑張らないとだめだ!」と一念発起し、何とか入学試験に合格することができました。
- 入学後はプライベートの時間を削ったり、睡眠時間を削ったりと、勉強に打ち込む毎日。働きながら学校に通うのは大変でしたが、半年もしないうちにすごく楽しくなっていったことをよく覚えています。学校に来ている人がやる気のある人ばかりで、刺激が大きかったのもありますが、何より、社長がやろうとしていることの意味が少しずつ分かってきたんです。勉強していなければ気づかなかったと思いますね。学校が終わる頃には、社長と一緒に経営計画をつくったり、会社をプレゼンしたりできるようになり、本当に良い経験をさせてもらえたと感謝しています。
- 清水:「ここまでやるんだったら、いっそ部長になったらいいんじゃない?」という話を冗談めかしてしていたら、本当に自分から志願してきましたね。
- 立田:覚悟を決めて2年間頑張ってきましたし、勉強する中で「部長になったらこうしたいな」と思うことが出てきたんです。学校が終わる頃には「卒業したら部長にしてください」と自分から言っていました。部長になって大変なこともありますが、やりがいもあります。従業員から「この会社に入ってよかった」という声を聞けると本当に嬉しいですね。
社員一人ひとりのやる気を引き出す
- Q. 本人に昇進を決断させ、その後はスキル面でも支援したことが、立田さんの成長につながったのですね。立田さんに続いて、管理職を目指す社員も増えているのではないでしょうか?
- A. 清水:立田が部長、執行役員になってから、女性の主任が4人に増え、管理職を目指す女性社員も出てきました。1人でも事例があると、あとはそれに続いていくだけです。本人のやる気を引き出す手助けをして、権限と責任を与えてやりたいことを自由にやらせてあげるのが私の方針。もちろん、最終的な責任は私が取ります。先ほども申し上げたとおり、男性女性を意識することなく、全ての社員にチャンスを与えていきたいと思っています。
- 立田:私が入社したころは女性の主任もいなかったんです。でも今は、男女関係なく機会を与えて長所を伸ばすという社長の考えもあって、「できる女性は上にあがれる」という雰囲気がありますね。
- Q. “男女問わず”というのが御社の方針ですが、あえて女性ならではの施策についてうかがいます。立田さんが始めた“女史会”について教えてください。
- A. 立田:私は一般社員だった頃は会社のことを全く知りませんでした。MBAで勉強することで会社のことや社長がやろうとしていることが分かるようになり、「知る」っていいことだなと身をもって感じています。そこで、他の女性社員にも会社のことを知ってもらいたいと思い、MBA取得後に“女史会”を立ち上げました。
- “女史会”は女性同士のコミュニケーションを図るための飲み会です。様々な話をするなかで、会社の話になったら私が口をはさんで、会社や社長の考えを代弁するんです。そういったやりとりを通して、会社への理解を深めてもらったり、誤解を払拭したりしています。
- また、飲み会らしく、ときには仕事への不満をこぼしながら話しているうちに、「こうしたらいいのに」「あんなこともできる」と改善提案が出てくるんですね。私も事務職だったのでよくわかるのですが、現場が主役の製造業では、何かを改善したいという声が事務職からあがることってめったにないですよね。そういう提案を吸い上げて、会議で共有するんです。そうすれば、提案が採用されることもある。すると、女史会の場でさらに多くの改善案が出てくるようになりました。また、「そんなことを考えていたのか」と他の管理職が女性社員を見直すことにもつながっています。
- Q. 立田さんを起点にして、会社と女性社員とのいい関係ができているんですね。最後に、今後の展開をお聞かせください。
- A. 立田:女性の管理職は増えてきましたが、今は管理部門に限ったことなので、現場で女性管理職が生まれるといいなと考えています。そのために、まずはもう少し現場の女性を増やしたいですね。現場に女性が入っていけるように、採用活動はもちろん、現場の環境改善や自動化・効率化に手をつけていきたいと考えています。女性社員のためだけでなく、男性社員も含めて誰もが働きやすい職場づくりに取り組んでいきたいですね。
- 清水:女性の活躍って、男性・女性を区別しないようなトップがいることが一番大きいんじゃないかなと思うんですね。だから私は、あくまでも男性・女性に関係なく、一人ひとりのいいところを生かした組織づくりや、意識を引き上げる環境づくりを今後も続けていくつもりです。
- ただ、育児に関してはまだまだ女性社員が抱えていることが多いので、ゆくゆくは社内託児所の開設も視野に入れています。女性社員だけでなく、男性社員のためにもなることだと考えています。必要になる資格やリスクは様々ありますが、いろいろ案を出しながら、取り組んでいきます。
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2018.09.12 清水電設工業様「女性管理職登用のポイントは“意思尊重”と“変化サポート”にあり」